この先何が残るのか

自身の身の事を、自身の課題として取り組み、身体を感じ直し、試行錯誤しながら工夫していく。

そうやって稽古を続ける人は、ほんのひと握りなのかもしれない。

教えられた事をやってみたけど出来なかった、変われなかった。

そんな事を口にする人ほど、稽古をやり直すと自身に取り組んでいない事がほとんどだ。

手当ての手は、自らの身体に取り組みながら他者に学び、身体の佳さに向かって試行錯誤していく中で育っていくもの。

よって、稽古もせず手軽に、その日ですぐに、簡単に身につき、誰でも出来るという宣伝は嘘である。

もう一度、そこからやり直していけないなら、レイキなんてものは消えてしまったほうが良いと思うのだ。

そして、そういった簡単便利なレイキに飛びつく人ほど、苦しんでいる悩んでいると同時に、全く自身に無配慮で無自覚で、外に答えを求め続けている。

そこに付け込んで、先の嘘によってそういう人を釣り上げ、自分の糧に変えてしまおうというレイキの指導者たち。

その指導者自身も、自身のしている事に無配慮で無自覚であり、その中には身体なんて無い。

もうこの世の中、身体を観ている人なんていないのかもしれない。

この先、人は何を失い、何が残るのだろうか。

手当てをしながら、それを見つめていこうと思う。